2007年02月17日
夢を与えられた #綿矢りさ『夢を与える』
3年前の第130回芥川賞・直木賞の発表の日を不思議と今でも覚えている。その日はニュースを見ながら友人と乾杯して、何だか妙に昂奮していたように思う。文芸サークルに所属していた僕にとっては、あの日はやっぱり激震だった。漠然とした感覚だったけれど、なにか変わる気がしたんだと思う。
あれから3年経った。いろいろあった。それは彼女にとっても同じことだろう。
さて、今作は、前2作とは全く別物と考えてよい。
アイドルを主人公とした今作は、ある部分では自伝的創作として読むことは出来るし、そういう意味ではこの空白の3年の重みのような物を勝手に感じ取っちゃうんだけれど、たぶんそれはファン心理的な読み方なんだろう。しかし、綿矢版『オートフィクション』と捉えるのも面白い見方かも知れない。……つい金原ひとみと比較しちゃうんだけど、まあ、目安として。
そういった部分を除いてナチュラルに考えた時、何というか、作品の意図が掴めない。淡々と綴られていく日々、そして絶望的な最後。ここに何の救いを求めたらよいのか暗澹とした気持ちになる。どうしてこのような作品を書いたのか理解に苦しむ。「でも、いや、何かあるはず」と思ってしまうのは買い被りなのかどうなのか。
つまり、要は、次作が問題なのである。今回の500枚が、次作にどういった影響を及ぼすのか、注目せずにはいられない。
そういった意味では、今作に夢を与えられたと言えるかも知れない。
2007年01月15日
4つのヴォイスに惑う #桐野夏生『グロテスク』
小説には“信用できない語り手”というものが存在します。
そもそも、「私」という存在が語る限り、その人物が嘘を吐いたり、事実を隠したりする可能性はあります。しかし、大抵の場合、私たちはそれを信用して読んでいくわけです。ま、そうですよね。いちいち疑ってかかっていては埒が明かないですから。
この『グロテスク』には、主人公「わたし」を中心とした4人の語り手が存在します。この語り手たちがそれぞれ自己中心的に語り、嘘を吐いたり、事実を隠したりするのです。これでは、埒が明かないなどと言ってる場合ではなく、他の人物の語りとの矛盾が増えるごと、どんどん疑念が強まっていくのです。そして、齋藤美奈子が指摘しているように「陰口」「つげ口」「悪口」のオンパレードに、誰がグロテスクなのか判らなくなっていくのです。
実際の事件に取材した小説というものの、それを凌駕するような悪意に満ち満ちた世界が『グロテスク』には広がっています。そこから、「東電OL殺人事件」に対する別の切り口が見えてきたように思います。それがフィクションの仕事と言うことでしょう。
何より特筆すべきは、『OUT』の時に凄まじさを感じた“女の描写”にさらに磨きがかかっていることでしょう。3つの女のヴォイスが絡み合うせいでしょうか。
進化し、深化する桐野夏生。彼女が次に何を描くのか、それこそ怖い物見たさで注目していきたいものです。
2007年01月06日
FRAGMENT #渡辺源四郎商店『素振り』
年末年始の王子で熱っぽく行われた「王子トリビュート001畑澤聖悟」。そのトリを飾るのは、本家本元の渡辺源四郎商店です。満を持して送り出した新作『素振り』は、本当にバットの素振りから始まりました。
一場物が多い畑澤戯曲ですが、今回はなんとオムニバス。仮に野球編、剣道編、山姥編とでもしておきましょうか。
特に注目したのは、山姥編。まるでコント×3のネタ見せ。コミカルな中に風刺が効いているのは流石でしたが、今までの畑澤作品からすれば異色だったように思います。正直、戸惑いの方が大きかったと言っておきましょう。まあ、もちろん笑ってはいたのですが。
ついつい比べてしまうのは良くないのかも知れませんが、弘前劇場の長谷川孝治には、「FRAGMENTシリーズ」と名付けられた作品群がありますが、今回の『素振り』は、それに近い意味合いの物があったのではないかと思います。稽古場の空気をそのまま持ってきたような。言い換えれば、素振りしてたら作品が生まれちゃったような。
今後の作品にどのような影響を与えるのか、一ファンとしては今回よりも次回の気になる作品群でした。
さて、「王子トリビュート001」を青森で上演するという噂も聞こえますが……それはそれ。002が誰になるかは注目されるところです。
個人的には、三浦大介か岡田利規を推したいです。もしくは広田淳一とか……。
2006年12月31日
20世紀の恋愛 #島田雅彦『彗星の住人』
![]() | 『彗星の住人』 島田雅彦 新潮社 2006-12 by G-Tools |
こまごめ値―★★★★☆
今年最後の読書は、文壇の貴公子で飾ってみました。恋愛小説で暮れる年の瀬もなかなか乙なものです。もちろん、そこは島田雅彦、一筋縄ではいかない作品であったことを報告せねばなりません。
この血族物語(サーガ)では、20世紀をさらうように4つの恋愛が描かれています。それは、実際の歴史人物と絡み合うように構成され、物語のバックボーンを確かなものにしています。
そして、何よりも意識されているのは、恋愛と国家の結びつき。これほどまで執拗に結びつきを描こうとしたのは、人間が国家に翻弄された20世紀という時代を表現するためだったと考えられます。つまり、21世紀の恋愛に向けて、20世紀という憑き物を落とす必要があった。そのためにいささか冗長な(カヲル以外の)3つの物語をさらう必要があったんでしょうね。
無限カノン<2>と<3>を読めばその構図が見えてくるのではないかと期待しています。21世紀の恋愛が読めるのではないか、と。
希望に満ち満ちて2006年を終えることができるのは嬉しいことです。特にそれが恋愛小説だったということは。
それでは、また来年も素晴らしい本の本の本の本の本の本の本の中に埋もれて生きていけますように。
2006年12月27日
現代版大正小説 #西村賢太『暗渠の宿』
![]() | 『暗渠の宿』 西村賢太 新潮社 2006-12 by G-Tools |
こまごめ値―★★★★☆
藤澤清造という無名の大正作家に傾倒する男・西村賢太の私小説――。この一年で、芥川賞、三島賞、川端賞という錚々たる賞にエントリーされ、注目を浴びました。今回の本の帯にも、「全身私小説家」だの「21世紀の大正作家」だの「待望の無頼派」だの、とてもゴツゴツとした推薦文が並びます。この妙な作家の新作をついつい買ってしまいました。
相変わらずの藤澤清造への傾倒ッぷりに圧倒されるのもありますが、「21世紀にこんな人がいるんだ」という感慨さえ抱いてしまいそうな男の姿が何よりも印象に残ります。何というか、典型的なだめんずなんですね。そこが愛せるというか、でも絶対に知り合いにほしくないタイプのキャラクタというか。そこをさらけ出す様を何と言ったらよいのでしょう? その惨めさが自分にも移ってくるようで身震いしてしまうのです。
この作家の不思議なのは、それこそ大正文士の書いた文章のような匂いがすることです。性格に違わず(?)文章がかっちりしている上に(町田康とは好対照)、小難しい言葉(というか漢字)を用いるからでしょうか。そこにまた、ハリーポッターなどという単語が出てくることで、「あ、現代だ」という認識をさせられるという、何ともパラレルな感覚を覚えるわけです。今までの作家にない面白さがそこにはあるように思います。
褒めちぎりながらも、この作家には私小説しかないんだな、と思います。それが、各賞で受賞に至らなかった理由でしょうし、それはそれで仕方のないことだとも思うわけです。そもそも賞とか似合いませんもんね。
西村氏には、ずっと無頼に好きに書いていてほしいものです。同時代にこういう人がいるのって、なかなか楽しいですし。
![]() | 『どうで死ぬ身の一踊り』 西村賢太 講談社 2006-02-01 by G-Tools |
2006年12月26日
Translation. #いるかHotel『月と牛の耳』
いるかHotel
『月と牛の耳』
作 畑澤聖悟/演出 谷省吾
@王子小劇場
こまごめ値―★★★★☆
いるかHotel。『月と牛の耳』の初演時にも興味を持っていたものの、関西のみでの公演だったことから断念しました。今回の企画があったからこそ東京で観られるということは、それだけでも王子トリビュートという企画の意義があったというもの。たまたま『月と牛の耳』が未見だったことと、畑澤戯曲が関西弁で演じられるということで、今回の企画の中で特に注目していました。
口語演劇の面白さは、地方劇団にこそ現れる、と僕は考えます。共通語の芝居では表れない微妙なニュアンスが、方言は持ち得るはずですし、弘前劇場が長谷川等(非常にディープな津軽弁を話すお爺さんです)を使い続ける意味がそこにあるのではないかと思うのです。そういった意味で、「普段話す関西弁」を意識する谷の演出は、関西弁というフィルターを通すことで、畑澤戯曲とはまた違ったニュアンスのコミカルさを生み出したように思います。
また、畑澤戯曲を読解する上で、トポスということは非常に重要であると思われます。ポストパフォーマンストークで畑澤さんも指摘されていたことですが、例えば、淡路・神戸・京都という位置関係や、神戸人が京都人に感じるちょっとした偏見など本当に絶妙だったように思うのです。こういった意訳ができる演出家こそ、王子トリビュートに参加してほしいものです。
ただ、最後の演出は過剰だったかな、と。そこで、星を一つ落としてみました。
結果として、王子トリビュートの成功を感じさせる一本でした。まだ、終わってないんですけどね。本家なべげんにも期待しましょう。
『月と牛の耳』
作 畑澤聖悟/演出 谷省吾
@王子小劇場
こまごめ値―★★★★☆
いるかHotel。『月と牛の耳』の初演時にも興味を持っていたものの、関西のみでの公演だったことから断念しました。今回の企画があったからこそ東京で観られるということは、それだけでも王子トリビュートという企画の意義があったというもの。たまたま『月と牛の耳』が未見だったことと、畑澤戯曲が関西弁で演じられるということで、今回の企画の中で特に注目していました。
口語演劇の面白さは、地方劇団にこそ現れる、と僕は考えます。共通語の芝居では表れない微妙なニュアンスが、方言は持ち得るはずですし、弘前劇場が長谷川等(非常にディープな津軽弁を話すお爺さんです)を使い続ける意味がそこにあるのではないかと思うのです。そういった意味で、「普段話す関西弁」を意識する谷の演出は、関西弁というフィルターを通すことで、畑澤戯曲とはまた違ったニュアンスのコミカルさを生み出したように思います。
また、畑澤戯曲を読解する上で、トポスということは非常に重要であると思われます。ポストパフォーマンストークで畑澤さんも指摘されていたことですが、例えば、淡路・神戸・京都という位置関係や、神戸人が京都人に感じるちょっとした偏見など本当に絶妙だったように思うのです。こういった意訳ができる演出家こそ、王子トリビュートに参加してほしいものです。
ただ、最後の演出は過剰だったかな、と。そこで、星を一つ落としてみました。
結果として、王子トリビュートの成功を感じさせる一本でした。まだ、終わってないんですけどね。本家なべげんにも期待しましょう。
2006年12月24日
それは大河を流れるように #カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
![]() | 『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ 早川書房 2006-04-22 by G-Tools |
こまごめ値―★★★★★
これを読まずに今年を終えるのは嘘だろうと思って、ついに手を取ってしまった『わたしを離さないで』。小説の性格上、あまり情報を知らない方がいいということを伝え聞き、古川日出男や角田光代の帯を見ながらいろいろ思いをめぐらせていました。その封印がいよいよ解かれたわけです……と、大袈裟にしすぎましたが、期待が大きかったのも事実です。
確かに謎が明かされていくという一種のミステリ形式で物語は進行していくものの、「提供者」の意味を知った時の衝撃がこの小説の核ではありません。むしろ、謎が知らされていく主人公たちの無抵抗ぶりに胸をざわざわさせるものがあるのではないか、と僕は思うのです。
これが現代科学に対する批判小説として読むことは簡単です。ただ、読者は、「提供者」である人生を歩み、使命を受け入れる主人公たちを批判することはできないでしょう。そこには、確かに太く短い人生があるわけですから。最後の1ページがそれを物語っています。
それにしても、カズオ・イシグロの抑えた筆遣いには、舌を巻いてしまいます。『日の名残り』の時にも感じたことですが、物語を急がない雰囲気は、まるで大河の流れのようにも感じます。これがカズオ・イシグロの魅力の一つであることは間違いないでしょう。
同時代にこういった作家を読める喜びは大きいものです。
2006年12月21日
もったいないおばけが出てくるぞ! #王子小劇場プロデュース『俺の屍を越えていけ』
王子小劇場プロデュース
『俺の屍を越えていけ』
作 畑澤聖悟/演出 黒澤世莉
@王子小劇場
こまごめ値―★★★☆☆
それにしても、「もったいないおばけ」って、悪くないネーミングセンスだと思いませんか? どこまでもストレートで裏がない。知らなくても何となくどういうおばけか判ってしまう。
もったいないおばけについてもっと知りたい方は、GoogleとかYoutubeで探していただくとして、『俺屍』の話を始めましょうか。
結論から言ってしまえば、「畑澤演出で観てみたかった」。
今回の「王子トリビュート」という企画の意図を汲んだ上で、この結論に至っちゃったのにはもちろん理由があります。
今回の気になる諸々の点を考えた時に、黒澤演出の意図が見えなかったのが、クリティカルな問題だと思います。もしかして「役者の個性を出す」のが今回の演出だったとしたら、それがあまり良い方向に働いていなかったと評価せねばなりません。
今回の企画では、ただでさえ個性的な役者陣が集まっており、彼らは所属する劇団でそれぞれの方法論によっていつもお芝居をしているわけです。そういった役者陣に演技面での共通認識を示すのが演出家の仕事とは言えないでしょうか。
残念ながら、今回、役者陣が作品空間を共有できていなかったように感じました。これでは演出家の仕事をほとんど評価できません。これだけの役者を集めておきながら、それを生かし切れないのでは、もったいないおばけが出てきてもしょうがないでしょう。
舞台の上をもったいないおばけがうようよしておりましたが、それでも本は面白くてほっとしました。大元がしっかりしていると安心できるものです。
『俺の屍を越えていけ』
作 畑澤聖悟/演出 黒澤世莉
@王子小劇場
こまごめ値―★★★☆☆
それにしても、「もったいないおばけ」って、悪くないネーミングセンスだと思いませんか? どこまでもストレートで裏がない。知らなくても何となくどういうおばけか判ってしまう。
もったいないおばけについてもっと知りたい方は、GoogleとかYoutubeで探していただくとして、『俺屍』の話を始めましょうか。
結論から言ってしまえば、「畑澤演出で観てみたかった」。
今回の「王子トリビュート」という企画の意図を汲んだ上で、この結論に至っちゃったのにはもちろん理由があります。
今回の気になる諸々の点を考えた時に、黒澤演出の意図が見えなかったのが、クリティカルな問題だと思います。もしかして「役者の個性を出す」のが今回の演出だったとしたら、それがあまり良い方向に働いていなかったと評価せねばなりません。
今回の企画では、ただでさえ個性的な役者陣が集まっており、彼らは所属する劇団でそれぞれの方法論によっていつもお芝居をしているわけです。そういった役者陣に演技面での共通認識を示すのが演出家の仕事とは言えないでしょうか。
残念ながら、今回、役者陣が作品空間を共有できていなかったように感じました。これでは演出家の仕事をほとんど評価できません。これだけの役者を集めておきながら、それを生かし切れないのでは、もったいないおばけが出てきてもしょうがないでしょう。
舞台の上をもったいないおばけがうようよしておりましたが、それでも本は面白くてほっとしました。大元がしっかりしていると安心できるものです。
2006年11月24日
全世界は書けないけれど #高橋源一郎『虹の彼方に』
![]() | 『虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)』 高橋源一郎 講談社 2006-11-11 by G-Tools |
こまごめ値★★★☆☆
本当は村上春樹訳の『グレート・ギャツビー』を買おうか迷っていたのである、新宿ルミネ1のブックファーストで。でも、(卒論に勤しまねばならない)いま読むにはちょっとなぁ、と文庫コーナーに行ってみると、この本があったのである。『虹の彼方に』のタイトルを見て、思わず「おー」と声を上げてしまったのは、僕が、突発的高橋源一郎症候群だからに他ならない。だから、迷わず手に取り、『グレート・ギャツビー』とともに購入したのである。
今年は、『優雅で感傷的な日本野球』が新装版として復刊され、「文藝」では特集が組まれ、年の瀬に『虹の彼方に』が復刊され……。新作が1冊も出ていないのに、この大騒ぎは何なのだろう。もちろん、歓迎したい。
正直に言おう。これは傑作なんかじゃない。意味ありげにも程があり、物語の体を成していない。たぶん、意味とか体裁とかテーマとか、そんなものは虹の彼方にあるんだろうね、きっと。
もちろん、アンテナに引っかかってくる言葉はある。だからこそ意味ありげになるのだし、その言葉について詳しく知っていれば、勝手に意味を作り出そうとするだろう。しかし、この物語はそれを無意味だと拒否している。あーあ、ポストモダンってご無体だわ。
高橋は、この作品で「全世界を書こうとした」と語っている。確かにそれは無理だったし、むしろ何も書けていないとさえ思ってしまう。
しかし、思い直してみる。そして、少なくとも、60年代――いや60年代の末期の一欠片は見えるんじゃないか、と僕は評価したい。東京拘置所での『カール・マルクス』『ウルトラマン』ら囚人たちと所長『ハンプティ・D』の言葉の応戦は、まさにそれなんじゃないか、と。
そうすることで、『さようなら、ギャングたち』、『ジョン・レノン対火星人』に続く、この物語は、意味を成してくる気がするのである。
僕がもう一つ評価すること。それは、続けられなかった物語に対する、作者の責任の取り方を見せてくれていることだ。最後の場面は、僕はそう受け取るほかなかった。


2006年11月18日
構成に難あり #帝京大学演劇部ヴィクセンズシアター『彼女の言うとおり』
帝京大学演劇部ヴィクセンズシアター
『彼女の言うとおり』
作 横田真理/演出 澁谷佳名子
@シアター風姿花伝
こまごめ値★☆☆☆☆
ヴィクセンズには曲者がいる。そう思ったのは2年前の明石スタジオ。それから多くのヴィクセンズシアター・メンバーと知り合い、共演もした。そして今回はそれ以来のヴィクセンズ観劇である。
最初の70分、どうにも退屈だった。漫画と現実がリンクするという設定もいまいちピンと来ない。残り20分で何とか持ち直し、ベタなドラマツルギーを逆手に取ったラストには少しばかり関心もさせられた(言い方を変えれば、これを待っていたとも言える)。しかし、時すでに遅しの感もあり。
今回の退屈は、構成の甘さに他ならないと思う。話は繋がっているのに、空気が繋がらないのは非常に気持ちが悪い。演者の登場/退出の時間が非常にまどろっこしい。ジェットコースターロマンスを名乗りながら、スピード感に欠けるのは、看板に偽りアリである。これでは演出家の仕事はほとんど評価できない。
B級グルメとして大満足だった2年前と比べ、今回は及第点は差し上げられない。むしろ、お新香(山田泰史の“自由演技”)が強烈すぎて、舌が麻痺してしまったくらい。お新香にも負けない主菜が求められる。
『彼女の言うとおり』
作 横田真理/演出 澁谷佳名子
@シアター風姿花伝
こまごめ値★☆☆☆☆
ヴィクセンズには曲者がいる。そう思ったのは2年前の明石スタジオ。それから多くのヴィクセンズシアター・メンバーと知り合い、共演もした。そして今回はそれ以来のヴィクセンズ観劇である。
最初の70分、どうにも退屈だった。漫画と現実がリンクするという設定もいまいちピンと来ない。残り20分で何とか持ち直し、ベタなドラマツルギーを逆手に取ったラストには少しばかり関心もさせられた(言い方を変えれば、これを待っていたとも言える)。しかし、時すでに遅しの感もあり。
今回の退屈は、構成の甘さに他ならないと思う。話は繋がっているのに、空気が繋がらないのは非常に気持ちが悪い。演者の登場/退出の時間が非常にまどろっこしい。ジェットコースターロマンスを名乗りながら、スピード感に欠けるのは、看板に偽りアリである。これでは演出家の仕事はほとんど評価できない。
B級グルメとして大満足だった2年前と比べ、今回は及第点は差し上げられない。むしろ、お新香(山田泰史の“自由演技”)が強烈すぎて、舌が麻痺してしまったくらい。お新香にも負けない主菜が求められる。











